野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

火怨・北の英雄 アテルイ伝「第3回 悲しき宿命」

東北をバイクでうろうろしていたとき、北上川の東岸を走る岩手県道14号線を走ったことがあります。今回のドラマでヤマトの軍がボコボコにされたという、一関市衣川から奥州市水沢にかけても通る道路です。

 

走っての正直な印象は「決して整備は悪くないんだけど、道路地図から受ける印象よりはるかに走りにくい」というもの。北上川のそばを走り続けるような印象を地図からは受けるのですが、走ってみると川のそばの丘陵を上ったり降りたりする区間も多く。それでいて、崖と川に挟まれた狭隘路区間もあったりする。わかりやすいランドマークがあるわけでもないので、交差する道路の番号からしか現在地を確認できない。「地元民ならともかく、よそものが使う道じゃないな~、」という印象を強く持たされた道だった。

 

ヤマトの軍が蝦夷の軍に道で挟み撃ちにされ、混乱の中負けていくシーンを見つつ思ったのは「で、当時の道ってどんなだったんだろう?」という疑問であり、そんな中で思い出したのは前述の岩手県道14号線だった。

ドラマでは軽トラが走れそうなくらいのダートで戦闘シーンが撮られているのですが、おそらく実際の戦闘があったときにはあんな立派な道はなかった。下手したら川沿いには道すらないところもあったと予想される。言うまでもないですが、ヤマトの歩兵がGPS機能つきスマホを持っていたわけでも、ヤマトの司令官が懐にツーリングマップルを忍ばせていたわけでもない。

そんな今いる場所もよくわからない状態で、今よりはるかに水量が多く流路固定もされていない北上川沿いの、道もあるかないかわからんような河原で、突然崖の影から現れた蝦夷に矢を射られる。ヤマトの兵隊は相当怖い思いをしたことでしょう。

 

「川の渡渉地点が限定されていて、その変化を熟知しているのは地元民」という室町以前の常識を無視し、かつ一番食い物が少ない夏前に戦闘を行う、という兵站の概念が欠落したヤマトの攻め方というのはあまりに無謀。「そりゃ負けるで…」と歴史の高みに立った立場からは言うしかないわけです。

しかし、北上川沿いの「一見単純に見えるが、よくよく見るとようわからん」地形というのは、行って見ないとようわからんものであるのも事実。その辺も含め「一度痛い目見ないと方針変更が行われない」日本の官僚組織らしい動きをヤマトもしていたのかな、という印象は受けました。

 

…まぁ、そういう戦術論を考察するドラマではない気がしますがw

ちなみに妙に印象的だったのは、製鉄のために木材が伐採されたことを示唆するシーン。それが奥州であったかはともかく、古代の文明はたいてい同じ轍を踏んでる。丁寧な時代考証を感じたワンシーンでした。