野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

八重の桜 「第17回 長崎からの贈り物」

今回の最後、八重の旦那は「万が一の話」として「会津が攻め込まれたらどこを守るべきだと思う?」という話をします。

 

「白河・日光・越後・米沢・二本松」と時計回りで会津への入り口を紹介する八重旦那。「奥州の入り口」というだけあって入り口がたくさんあり、守るべき場所が山ほどあることを示唆している。

で、東北にいた当時、下道でこれら5つの入り口のうちどれをよく使ったか、というと「米沢>越後>日光>>白河≒二本松」だった。そして、八重旦那が「警戒すべき」というのは「白河」で、会津が戊辰戦争で防衛戦を突破されるのは「二本松」。

 

一般論として、戦争は地の利がある分地元有利。しかし、その分思い込みもある。

実のところ、東北に住んでいたときに母成峠は通ったことがない。仙台を起点にして考えるとそこを通ってどこかに行くイメージができなかったし、今もできない。当時は有料道路だったのでそれもあるかと思いますが、それを差し引いても「知ってるけど活用価値の低い道」。あの道を軽視した奥羽越列藩同盟サイドの気持ちはわからんでもない。

 

会津辺りの峠は火山灰で覆われているので道は言うほど険しくなく大人数の行軍を可能とする「攻め手有利な地形」。後年、高度成長期にドライブウェイが張り巡らされることからもそれは分かる。

でも、会津から見ると四方を山に守られた「天然の要塞」にも見える。会津と他藩の間の「意識の違い」を、他藩出身の八重旦那に解説させる、なかなか示唆に富んだシーンでした。

 

 

というわけで子役大活躍の回。

「佐幕だろうが倒幕だろうが夷敵だろうが、みんな同じく子供を愛する親じゃないか?」という、みんな納得するけど”三十台ソロ充”には実感を持った理解のできない論理が今回のベース。

会津松平家には一橋慶喜の弟が養子として送り込まれます(これも子役)。「家同士のつながりのために、婚姻・養子縁組が使われる」なんて江戸末期でも普通にあったんや…と思ってしまいますが…貧乏人には関係ないだけで、今でもそんなに珍しくないことみたいらしいね…”三十台ソロ充”には実感を持った理解ができんけど…(苦笑)