野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

八重の桜「第2話 やむにやまれぬ心」

10年以上前、松代に遊びに行ったことがあります。基本的に”腐れサヨク”なので、主目的は松代大本営跡、副目的は松代大本営跡に設置された地震観測所(←これのおかげで、松代群発地震の詳細なデータが得られた、とごく一部の人には有名)。

 

このときに象山神社にも寄っているのです。しかしいまいちピンと来なかったことは未だに覚えている。「佐久間象山」という名前にはその当時も頭の片隅にはあったものの、何者であるかはさっぱり理解できておらず「そんな人もおってんや」で終わった記憶がある。

正直なところ佐久間象山という人物が松代の出身であったことよりも、松代が真田幸村で有名な真田家が江戸時代に得た領地であったことや、そんな有名な家系がなんやかんやで親藩譜代系の血筋に気がついたら乗っ取られ「真田の家なのに真田幸村と血がつながってない状態」になっていることを示す家系図に驚いたことの方がはるかに印象が強い。

 

幕末しかり安土桃山時代しかり、混乱と変化の時代ゆえにいろんな階層と地域からいろんな人が歴史に参加してくる。そして、そんな中から歴史に名を残す”勝ち組”が生まれ、そんな”勝ち組”を軸にした歴史教科書が書かれることによって、後世の人間は歴史を容易に学ぶことができる。

”負け犬目線”での大河ドラマ、というのは”勝ち組の歴史”を補完するものとして、実は有用なのかも知れない。佐久間象山が妙に印象的で、そしてさっさと散っていった第2話を見つつ、そんなことを考えていました。


 

そんなことはさておき。

この第2話から綾瀬はるかが本格的に登場しました。「やっぱり鼻濁音はヨソの人には出しにくいよな~」と出てきてすぐは(共感を持ちつつ)思ったのですが、後半のシーンになるとそれはそれでそういうムードを漂わせる発音ができてくる。「会津弁完璧」という提灯記事は持ち上げすぎにしても、真剣に取り組む姿勢は伝わってくる演技でした。

 

もっとも、東北ネイティブな役者さんの演技で「生活語彙」ならなまってても分かるのですが、そこに「歴史語彙」が入ってくるとそのときは聞き取れず後から流れで理解する、なんてシーンも一二度あった。「方言話者間の相互不理解の過程」を客観的に理解できる、と言う面も個人的にはある。

あらゆる場面で映像化され活字化され客観的に捉える機会を得られる標準語とは違い、方言はそういう機会がなかなか得られない(どうでもいい話ですが、「親含め大阪ネイティブの大阪弁」と「そうでない大阪生まれ育ちの大阪弁」の違いに初めて気づいたのはインターネットメールだった)。

油断してると「そんぐらい分かるやろ」って言葉にすら字幕が振られてしまうのが東北諸地域の方言。「標準語の字幕」という雑音や目の前の人の表情を気にすることなく、客観的に東北諸方言を聞くことができるのもこの番組の強みなんかな、という感じはします。