野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

「聲の形」を見て

NHK教育で放送してた「聲の形」を見る。映画館で見て以来、二度目の視聴。
映画館で見たときは、「どこに持っていかれるかわからないジェットコースターに乗ってる気分になる映画」という印象だったのですが…今回は直前にたまたま自殺予防に関する本を読んでいたため、初見のときは見落としていた”教科書通りの希死念慮の兆候”がアリアリとわかり、非常に落ち着いて見られた。
 
落ち着いてみてみると…それぞれのキャラクターに与えられてる役割って、ほんとに教科書通り。主人公のいじめ行為は、小学生にありがちな「いい悪いなんてなんも考えず、とりあえずやってみただけ」の(悪い意味で)悪意のない行動だし、そんな行動を生み出すクラスの雰囲気は「ピアグループ(ギャンググループ)」の教科書通りの解釈でしかない(それを裏切った主人公が徹底的にたたかれることも含めて)。そして、そんな中で自己肯定観を失ったヒロインが「自分が消えれば…」的な考えに傾きがちなのもある意味で教科書通り。
だから、この映画の山場(?)である花火大会あたりまでの流れは、今回の視聴では(好き嫌いはさておき)さもありなん、と思って見られた。
 
それだけに…最後の文化祭のシーンへの流れが唐突に感じる。
児童期から青年期に移り、自分のアイデンティティを認めてくれ、また相手のアイデンティティを認められる関係を重視するようになり、その背景には性的成熟もある、という教科書通りの展開ではあるのです。ただ…「それがそんな楽にいったら苦労せんやろ?」という自分の中のツッコミの方が、話の流れを納得する気持ちよりも強くなってしまった。こっちが知りたいのはそこやねん、と。
 
なんか…初見よりも謎が深まった気がする、というのが正直な感想で、それはまたこの映画を見返した時までの課題なのでしょう。とはいえ、なぜこの時期にNHKがこのチャンネルでこの映画を流したのか、という意図はつかめた気はしました。