野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

ペンギン・ハイウェイを見て

一昨日、映画館のレイトショーでアニメ映画「ペンギン・ハイウェイ」を観てきました。

原作となる小説は読んだことがあって、原作者の森見登美彦さんの作品の中では「一番好きな作品なんだけど、一番よくわからん作品」。アニメ版は、その難解さを理解しやすく手助けしてくれているが、その目的のためになかなか大胆な整理をしている、という印象。

 

アニメで「大人の視点」を感じやすくなった

原作小説は主人公の少年(アオヤマ君)の一人語り的に話が進んでいきます。主人公の性格もあって小説には独特の独りよがりな雰囲気が漂う、それがこの小説の魅力でもあり、読む人を選ぶ部分でもあります。

アニメだと、そんな主人公を映しとるカメラの目線になり「主人公以外」からの視点に気付きやすくなった。そのおかげで、主人公に感情移入しにくい人にも見やすい作品になった。

個人的にアニメ版で強く感じたのは「やさしい大人の視線」。客観的に見たらまだまだ子供の部分もたくさんある主人公ですが、本人は大人になりたくてそれに応じた言動をする。その言動を止めるのではなく、受け止めつつも見守る大人にあふれた作品でして。「自分はそんな大人になれてる?」と問われている気分になる作品でした。

まあ、原作小説にもそのような描写はあちこちにあって。アニメ版でそれをもっと意識しやすくなったのは確かですが、読み手である自分が原作を読んだ時より、今の方がそういう大人の役割を求められる立場になってもいる。読み手がちょっとは大人になったからなんかもしれません。

「研究」より「冒険」をより重視したアニメ化

原作小説とアニメ版ではさまざまな違いがあるのですが、一番の違いは「研究」の扱いではないか、と思うのです。

この作品は主人公が「歯科医院のお姉さんの研究」をする中で進んでいく物語。そして、友達であるウチダ君やハマモトさんと「共同研究」するなかで、さらに主題であるお姉さんの謎に迫っていきます。

アニメ版もこの流れは変わりません。しかし、話を分かりやすくする中で登場人物の「研究者」としての側面が薄められているように感じる。

それを特に感じるのがウチダ君とハマモトさんの扱いです。原作ではこの二人もそれぞれ研究のテーマを持っていて、その対象が一致するから「共同研究」している。共同研究だから研究方針の不一致で揉めることもある、しかし彼らとの会話を通して主人公たちの研究は神髄に近づいていく。

アニメ版は「研究」という側面より、その研究に付随する「冒険」の側面をより重視した感がある。わかりやすさ、という意味では正しい判断なんだと思うし、主人公の物語を理解する分には困らないんだけど…共同研究者、特にウチダ君を理解するには難のある構成かな、と。アニメ版でも主人公がわからない部分を知っている人物として描かれますが、原作では主人公が知らない研究分野を持っている登場人物として描かれているので…。

※この物語を「ウチダ君目線」で書いた小説があったら、めちゃ面白いだろうな、と。雰囲気ぶち壊しだけどw

 

近鉄アニメ」としての側面

近鉄ロケーションサービス」協力のアニメ映画で、近鉄けいはんな線と思われるシーンが何度も出てくる映画です。そして、これが原作とアニメ版の大きな違いの1つでもあります。

実は原作ではこの路線が開通していなくて。将来開通したら、お姉さんが生まれた「海辺の街」まで直接行けるようになる鉄道、として登場している。これがアニメ版では普通に登場し、かなり重要なシーンもこの鉄道が舞台になる。

原作でも同じシーンがあるのですのですが場所が違う。それを「お姉さんの生まれた海辺の街に行ける鉄道」にまとめることで、話が理解しやすくなっている。

これがアニメ版の大胆なところで、場所を変えただけでなく話す内容は同じでも違う人に話させたりと、結構話が整理されてる。しかし、全体として観れば原作とアニメは同じような物語を描いている。これはすごいな、と。

 

総括

いいアニメ化だな、と。原作では文字として出てくるノートや地図が、画像として見られることで格段に話を理解しやすくなった。振れ幅の大きい「歯科医院のお姉さん」を、蒼井優がうまく解釈して演じていた。

ただ…そんなよくできたアニメ版を見た後で、原作を再読してもやはりまだ分かったようでわからない部分がある。その辺も含め、アニメ版を見た後は原作も買って読んでね、とは思う。借りて読んでも…なかなか一度読んだだけでは理解しきれない作品だと思うので…。