野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

ソウル一泊二日旅行〜食べ物編〜

旅行といえば食、なんですが…それほど食ってない…。なにせハングルが読めない話せない、で突撃したんで…(汗)

 

1日目の昼は弘大界隈の「母」

カンジャンセウ。エビのミソの部分と醤油ダレが絡んでたまらん味になる。

 

本当は晩はチメク(唐揚げとビール)で決めたかったんですが…明洞(ミョンドン)のそれっぽい店が続く場所の客引きに恐れをなして結局食わずじまい。まあ…外国で一人で呑んで帰る、というのに抵抗感があったのはある。というわけで晩はホテルで酒を呑んで就寝。

朝はホテルの食堂でバイキング。

豆腐にゴマ醤油、というのはありだな、と。ゴマの風味が醤油のかけ過ぎを防ぐ。

 

江南(カンナム)のライアンカフェで、ライアンとさしでフラペチーノを飲んで。

フラペチーノのクリームに「ライアン柄のミニチョコ」が載ってたり、それでいて美味しかった。

 

昼は遅めにソウル駅のフードコートでビビンバ。

ビビンバに入っていたダイコン(?)のコリコリとした食感が、他の食材の味、そしてキムチの酸味と合わさる。キムチは決して辛くはないのですが、微妙に深みのある味を持つ。

韓国の料理は「酸味と食感、そして風味」の合わせ技なんだな、と。日本の料理は「素材の旨味」を重視するのですが、韓国の料理は「いろんな素材の良さを、キムチの酸味で調和させる」らしい。日本人はどうしても「いいキムチ」を求めがちなんですが、そうではなくて「その料理の素材に合うキムチ」を意識した方が韓国料理を楽しめる気がする。

 

空港では余ったウォンを使い切るために、餃子。「カルビ入り餃子」が案外いけた。

でも…ほんとは本場で韓国餃子を食いたかったな…。

 

料理に限らず、いろいろと心残りはあった旅行。まあでも…その気になればまた来れる距離。次に来るときはもうちょっと韓国のことを知ってから来たいな、と。

ソウル一泊二日旅行〜フォルムにこだわる文化(カワイイ編)〜

ソウルで最初に行った街が弘大(ホンデ)なんですが…なんというか日本人も好むような「カワイイ」に溢れてて…なぜかゲーセンまであった。

「日本のキャラ好き狙いちゃうのん?」というツッコミを遮るように、韓国オリジナルのキャラもいる。

↑韓国焼酎に飲みつぶれてるキャラクター。…こいつはちょっと欲しかった…

↑弘大の豚肉料理店。

日本には「カワイイ絵をかける絵師」がたくさんいる、その点で韓国に負ける気はしないのです。しかし、そんなカワイイ絵がいわゆる「オタク業界」から外には出てこない。韓国にもそういう「リアルとオタクの壁」はあるんだろうけど、「カワイイ絵を使って一儲けしてやろう」という欲のほうが優っている、そのように感じる。

日本のオタクは「カワイイ道」を究めようとするあまり、その技術をどう使うかより、その美意識を極めることに重きを置きすぎたのかもしれません。

 

カワイイを趣味から芸術に昇華させたい、という意識が垣間見られるのも興味深い。梨花洞の「路上美術館」にその片鱗を感じた。

もともとレンガ造りの建物が多かった地域で、その壁を使って芸術活動をしている、というものらしい。

↑この羽根の間に立って写真を撮るとインスタ映えするそうです。

まあ…地域を巻き込む活動の常で、皆が賛成というわけではなく。この活動の目玉の一つだった「階段に絵を書いたアート」は塗りつぶされてた。

↑この階段全体を使った絵があったらしい。端っこの方の青いペンキがその名残。

↑この階段付近にあった看板。まあ…タバコとポイ捨てまでは付き合いきれんわな…。

 

ただ…いろんな意味で絵になるのかドラマにも取り上げられ、それ目当てであろう日本人観光客も結構いて。かくいう自分もそんな口の一人。見ていたドラマのヒロインの居宅、という設定の家は喫茶店として使用されていました。

美術的なセンスは全く無いから、その芸術的価値は全くわからないんだけど…こういう取り組みのおかげで、古い町並みであったり、古い城壁であったり、そこからの景色を見ることもできた。個人的にはありがたい取り組みでした。

↑路上美術館に向かうとき使った道。スマホの地図アプリがあればこそ歩ける道

↑侵入者に警戒心満載の猫。

↑古城壁から見る景色。斜面に張り付くように家を建ててます。

↑古城壁から望む北漢山方向。…登りたい…

ソウル一泊二日旅行〜フォルムにこだわる文化1(上意下達編)〜

朝鮮の文化の基本は「石像を彫る」ことなのかな、と。

景福宮〜光化門にかけて

朝鮮半島花崗岩が多く、その関係で砂鉄からの製鉄もしやすい。製鉄を出来るだけの技術力・資金力があってこそ、軍事力を持つこともでき、そんな鉄を使って花崗岩を細工することも出来る。「立派な石像」が単なる偶像に終わらず、権力の裏打ちをしてきた。

↑東大門

↑東大門から続く古城壁

「権力」を持つもの(昔なら両班)が、持たないものにその差を「見せつける」ための手段として、昔は石が使われていた。

そして今も「権力」を持つもの(財閥)と、持たないものの差は存在していて、その差をどう埋めて一体感ある国を作るのか、がこの国の課題なのかもしれないな、と。

↑東大門デザインプラザ(DDP)。古城壁跡より内側にある

↑とんでもない量の荷物を運ぶバイク。東大門外の東大門市場ではこんなバイクでいっぱいだった。

↑泊まった東大門のホテル近くの歩道に並ぶ屋台。この通りの屋台のほとんどが衣料品を売っていた。

そして、韓国が「国内の差」を埋めるために使おうとしているのも、やはり「形あるもの」なんだろうな、と。

↑江南地区のショッピングモール・COEXに入居する図書館

↑ロッテ百貨店本店ヤング館・LINEショップにて

↑KAKAOフレンズストア 江南フラグシップストアにて。韓国ではLINEよりKAKAOの方がメジャー

↑(確か)仁川空港にて撮影。人の集まるところならどこでもこのトラとクマがいて、平昌冬季五輪を盛り上げようと活躍してました

韓流ドラマもたぶんこの流れにあるんだろうな、と。立場や文化の差があっても「愛さえあれば分かり合える」というテーマが多いのも、そういう「国民みんなが追いかけるストーリー」という共通の話題を提供することが、立場の上下関係なく求められているからこそなんだろうな、と。

 

 

ソウル一泊二日旅行~対日観~

韓国という国家にはどこか「反日国」という印象があり、実際いくつもの国際問題を抱えていて、その度にその印象は強くなれど弱くなることはなかった。一方で、韓流好きの人からは韓国のアイドルが仕事だけでなくプライベートでも日本に来ていて、日本を楽しんでいることも聞いていた。矛盾する事実と情報を自分の中で処理できずにいた。一応は理系の端くれ、実際に見たものを信じるのが筋ではないか、という気持ちは旅行前からあった。

 

旅行でみた結果を総括するなら「旅行者の目ではなかなか”反日嫌日要素”を見いだせない」というのが本音ではないか、と。その端的な例が「(いろんな誤解含みの)日本食ブーム」です。

↑弘大(ホンデ)の南にあった日本風居酒屋

↑ソウル駅近くロッテマート併設のフードコート。…「とんかつ載せたら日本料理と思ってるんちゃうか」と小一時間問い詰めたい

↑こちらも弘大界隈。開店祝いの花輪が並ぶ「キリンビール」を置いた料理店の隣には、「サッポロビール」を扱う料理店が…

 

確かに…日本人的にはツッコミどころのある部分なのです。しかし、少なくとも日本が嫌いでしゃあなかったら、こんなに日本料理(?)店ができないだろうと。

「ブームが去ったら、すぐに違う店に変えてしまう」という韓国外食業界のことですから、この風潮がいつまで続くかはわかりません。しかし、「現時点で、日本に興味を持つ人が少なからず居る」ことの証明にはなるんじゃないか、と。

 

さすがに歴史が絡むと、日本に対する見方はやや厳しくなりますが、日本人がイメージするより冷静に歴史問題を扱っている印象はある。それを感じたのが「ソウル歴史史料館」。「朝鮮・韓国の教育史」に関連する史料を展示した施設。

↑教育史料館正面

↑「日帝時代」の教科書も展示

 

朝鮮王朝時代の教育システムに関係する史料から、近代に入って構築されかけた韓国独自の教育システム、それに続いて導入された日本語での教育、という極めて客観的な紹介。片隅に「朝鮮教育の研究」と書かれた当時の日本語書を置いていて、「大日本帝国なりに朝鮮半島の教育を考えた人もいた」という取り上げ方。…文句の付け所がない。

ちなみにこの施設に入ってすぐあるのが「昔の駄菓子屋」を再現したブース。

他にも「昔の遠足先」「運動会の風景」「昔の制服」など、視覚に訴える展示物が多く、それは日本人にも共感しうるものだった。韓流ドラマの学校シーンが日本人からもそれなりに共感を得るのは、そういう部分もあるのやもしれません。なお、この教育史料館は入場無料です。

 

「日本を責めたいんだろうな」という文脈を、旅行中で唯一感じられたのは朝鮮王朝の宮殿・景福宮の最も奥にある建物。ここに李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃で、日本人に暗殺された閔妃についての展示があり、それに関する解説動画もあった。

…まあ責められて当たり前の場所なんですが、そんな場所でも「景福宮を保存すべき」と主張した日本人の存在を紹介するのは忘れない。

 

韓国にも日本に悪い感情を持っている人は居るんでしょうが、歴史問題も含めて冷静に見て行動している層も確実に存在する。少なくとも、国民皆が火病ってるわけではないし、そんな部分ばかりを紹介する日本の人や特定メディアの言説は眉唾ものではないか。そんな印象を受けました。

ソウル一泊二日旅行~交通機関編~

一泊二日でソウルに行ってきました。

「海外は行ってみないと分からんな」というのが総括。最も行きやすい距離にある外国で、実際に往来も多く、情報もマスメディア・ネットメディアともに多いはずの国なんですが、2日間の行程で感じるものは多かった。

その中で、行く前は最も期待しておらず、それでいて最も考えさせられたのが、鉄道を初めとする交通機関なのです。

 

まずは仁川空港の到着口。当たり前のように、日本語が添えられています。

このような多言語対応は、鉄道機関では当たり前。日本だと「古い列車は対応したくても…」という反応になりそうですが、どこまで悪くても液晶表示器に英語表示は入れるようにしている。

↑ソウルメトロ2号線の車両。1990年製造の鋼鉄車。こんな列車でも車内液晶表示は追加され、車内Wifiアンテナも設置。

↑当たり前のように、全駅ホームドア設置。

↑券売機はタッチパネル式。当然のごとく日本語モードあり。

 

液晶表示しかり、ホームドアしかり「後から付けられる”新しいものは全部付ける”」という姿勢で、ハードウェア的なサービスは正直なところ日本より一歩先を行っている感があります。

 

かわりに、といっては何ですが無人化は進んでいる。

ICカードの普及は進んでいて便利なんですが…ちゃんとタッチできていないときの通知が、ちょっと微妙。自分自身、とある駅の乗車時にちゃんとタッチできていなかったのに気づかず目的駅まで行ってしまい、到着駅に駅員がおらず困った。

検札器にあるCallボタンで駅員を呼んで対応、という形でちゃんと解決はしましたが…その途中「ここを通れるから通っちまえよ」的な誘導をする地元民も居て…恐らくは多少の料金取り漏れを覚悟してのシステムなのかもしらん。韓国の「ケンチャナ文化」の一端なのでしょう。

 

一方で、「交戦装置としての交通」という側面も、間々感じられた。端的なのは各駅に設置された「毒ガスマスクボックス」。

全般に駅は深く、核シェルターとしての役割を果たせる作りになってる。

 

そして、鉄道ファンとしてなにより驚いたのは、地下鉄のほとんどが「架線式」、つまり地上の鉄道と同じパンダグラフから電気を取る方式であること。韓国の鉄道が標準軌ゲージでそれにあわせた大きな車両を使っていることを考えると、トンネルを掘るためのコストばかりかかって旅客鉄道的にはあまりメリットはありません。「車両が気持ち広めでいいな」ってくらい。

相互乗り入れがしやすい、というメリットはあって、実際に国鉄・市営交通・民間鉄道をあわせた交通・料金体系を取ってはいるのですが、最初からそのように考えていたとは考えがたい。電化方式は交流・直流が入り乱れており、実際「交直両用車両」で運行されている路線もある(ソウルメトロ1号線など)。

 

考えられるのは「軍事目的」なのです。軌間と車両限界さえあわせておけば、その気になれば貨車に乗せて軍事物資や軍事車両を輸送できる。あのゆったりしたトンネルならば、おそらく無蓋貨車でジープぐらいは運べるでしょうし、あの複雑な地下鉄道網は北朝鮮人民軍の目にはたちの悪い塹壕のように写るでしょう。

軍事目的で余裕を持って作られた施設を、平時に市民や外国人にも利用しやすくするにはどうしたらいいのか、という哲学のようなものが垣間見られた地下鉄網でした。

 

なお、仁川空港は自分が今まで見た空港の中で最も大きく、最も国際的な空港だった。

帰りはその空港を北北西に向かって離陸したのですが、離陸後すぐに南北の軍事境界線付近が窓から見える。軍事境界線となる川や海岸線を照らす白い照明群(密出入国対策?)、そしてその後ろには電気の気配がない真っ黒な大地、そこに時折光る灯台の光。夜遅くまで屋台が開いている明洞の繁華街とは対照的な北の姿でした。まあ…北の将軍様に「資本主義者の堕落」と言われたらそこまでですが…。


ソウル・新世界百貨店のクリスマスツリー

 

 

 今回は時間の問題で乗り合いバスに乗れなかった。

空港鉄道と平行する高速道路のETCレーン(韓国でそう呼ぶのかは知らないが)を「30km/h」という注意表示をはるかに上回るスピードで駆け抜けていく高速バスを見て、少々恐れをなしている部分もあるんですが…都心部ではバス専用レーンを用意してたり、先駆的な部分もあるようなんで機会があれば是非試してみた交通機関です。

 

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 ↑道路中央に設置されたバス専用レーン。日本で似た例を挙げるなら、名古屋の基幹バス?

 

【替え歌】どんなヲタも。

www.youtube.com

僕の背中は自分が
思うより 「オタク[横]」かい?
誰かに聞くとか 不安になってしまうよ

アニメ絶つと 僕がつよく
ちかったあの夢は
古ぼけた教室の
すみにおきざりのまま

あのボロだらけのアニメレビュじゃ
書き尽くせぬのは
RAIL WARSでも (イヴの)時間でもなく
僕かもしれないけど

どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなアニメは好き!」と
言える気持ち 抱きしめてたい
どんなとき(クール)も どんなとき(クール)も
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから

もしも他の誰かを
知らずに傷つけても
絶対譲れない
アニメが僕にはあるよ

”昔はよかったね”と
再放送アニメ 見ながら
生きていくのは
本当に嫌だから

消えたいくらい辛い気持ち
抱えていても
おバカなアニメ 笑って見る
まだ平気みたいだよ

どんなときも どんなときも
人気なく 窮屈そうな 
お気に入りのアニメに
焦る気持ち 溶かして行こう

そしていつか そのアニメ愛し
そのアニメ 守れる強さを
自分の力に変えていけるように

どんなヲタも どんなヲタも
ヲタがヲタらしくあるために
「好きなものは好き」と
言える気持ち 抱きしめてたい
どんなヲタも どんなヲタも
迷い探し続ける日々が
答えになること 僕は知ってるから

伊勢志摩サミットで海外要人が伊勢神宮を参拝すべき2つの理由

来年のサミットが伊勢志摩で行われる、と発表がされました。そして、

伊勢神宮については「悠久の歴史をつむいできて、たくさんの日本人が訪れている。日本の精神性に触れてもらうには大変良い場所だと説明した。

16年は「伊勢志摩サミット」 首相「日本の伝統実感を」 :日本経済新聞

 との発言から、いわゆる「安倍首相アンチ」から懸念の声が上がっています。

 

私自身もいわゆる「安倍首相アンチ」ではありますが、伊勢神宮参拝はサミットに組み入れるべきだ、と考えます。理由は2つです。

 

(1)「一生に一度は伊勢参拝」という口実で、ちゃっかり遊ぶのが好きな国民性を知るのに最適な場所だから

「一生に一度は伊勢参拝」という言葉は存在します。これに類する言葉は少なくとも江戸時代からあるようです。

 

しかし、これを「日本人の宗教性・精神性」とストレートに受け取るのは大いなる間違いです。

昔見たアニメ「まんが日本昔ばなし」にこういう筋書きの話がありました。

村を代表して、その村からの賽銭を預かり、遠くの寺社へ参拝に行く。その人はそのお賽銭を使い込む気満々で、参道の店の呼び子に「この賽銭もって、帰りに遊びに来るからな」と声をかけて寺社に向かう。が、うっかり賽銭を全部納めてしまう。当然、お店で遊ぶことも出来ずとぼとぼ帰る。

お笑い話として仕上げてありますが、実のところ日本の寺社仏閣参拝の楽しみは、その寺社で得られる体験と同じくらいに、その参道や行程での体験が重要視されます。

 

この事実は学問的にも一定の裏がとれています。

放送大学観光の新しい潮流と地域」では、江戸時代に「お伊勢参り」をした人の記録が紹介されているのですが、その行程はさながら日本一周旅行。

江戸を出発したあと、伊勢には行くもののその後は京都でしばらく遊び、四国・金比羅さんを詣でて、なぜか帰りは長野・善光寺を拝んで帰る。

という謎の「お伊勢参り」が記録されています。

 

これは、あの大日本帝国時代でも変わりません。新書「鉄道が変えた社寺参詣」には、戦時体制下の日本で「伊勢神宮参拝を口実に遊びに行こう」とばかりに集客をはかった民間鉄道会社の存在と、それに対抗して参拝観光列車を用意する国鉄の競争が紹介されています。

今でも近畿地方には「お伊勢講」という習慣が残っていますが、行き帰りのバスでいかに酒を飲むかや、解散した後の「締めのラーメン」を楽しみにしている人が大半、という現実があります。

 

伊勢志摩サミットに参加し、伊勢神宮参拝にもつきあった外国の要人方には、是非ともそういう「日本国民の思い」を感じ取って頂きたい。

社殿に向かって拝みつつ、内心では「これが終わった後、どう遊ぼうか?」という気持ちでいっぱいだった日本人の心。そういうよこしまな心の積み重ねを最も深く理解できる場所は、伊勢神宮以外にありません。

(2)伊勢志摩は「非日常系エンターテイメント」を提供し続けてきた地域であり、その中で最もインパクトの強い「非日常系施設」が伊勢神宮だから

出席する各国首脳とは「伊勢神宮の荘厳でりんとした空気を共有できればいい(中略)」と述べた。

16年は「伊勢志摩サミット」 首相「日本の伝統実感を」 :日本経済新聞

 日本の神道の本質は「アニミズム的な自然崇拝」です。しかし、それを日常的に意識しながら生活しているわけではありません。たとえば、地域の神社に残る原生林などの「非日常」に触れることで、日常の中に紛れている自然を再認識します。

 

伊勢神宮神社域に残る原生林は、日本でも一級品の原生林です。伊勢神宮の原生林が醸し出す「荘厳でりんとした空気」を生み出すものはこの原生林にある、私はそう考えます。その宗教性や政治性を抜きにすれば、私も好きな空気でもあります。

 

しかし、伊勢神宮の生み出す「荘厳でりんとした空気」は伊勢志摩が作る「非日常」の一端でしかない。あえていうなら、伊勢神宮という「極端な非日常」があるからこそ、他に用意された「非日常」が際立ってくる。

 

その最たる例は伊勢神宮から橋を渡ってすぐにあるおかげ横丁でしょう。伊勢神宮から宇治橋を渡ってすぐの所から続く門前町で、赤福餅のお店が有名なところです。

「原生林に囲まれた神社」という『非日常』を実感させたその直後に、「知名度の高い銘菓を頂く」という『非日常』を用意する。とにかく次から次へと『非日常』を用意しはるばるやってきた客を飽きさせない、そういう意味で伊勢志摩は「日本流『おもてなし』の元祖」の1つと言っていいかもしれません。

なお、おかげ横丁が時代を感じられる町並みに改装したのは平成になってからの話。『おもてなし』のためにはちゃんとしかるべき投資をする、という伝統も今に引き継がれています。

 

伊勢志摩は日本の「非日常」と「おもてなし」を集めた伝統的テーマパークです。海外の要人の皆様方にも、ぜひ楽しんでいただきたい。それを楽しんでいただくために、伊勢神宮は外せない来訪スポットの一つです。

最後に

観光は、行ったら楽しいものですが、行かなくても死なない「不要不急の産業」です。その「なくても死なないもの」を継続して提供してきたのが伊勢志摩です。それは、「なくても死なないけど求めているもの」に常に応え続けてきたからこそできることです。

 

サミットという「高度に神経を使う政治的作業」で疲れた心を、伊勢志摩が提供する「非日常体験」で少しでも紛らわせていただければ、一日本人としてそれを心から願っています。