野ぶたのつぶやき

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伊勢志摩サミットで海外要人が伊勢神宮を参拝すべき2つの理由

来年のサミットが伊勢志摩で行われる、と発表がされました。そして、

伊勢神宮については「悠久の歴史をつむいできて、たくさんの日本人が訪れている。日本の精神性に触れてもらうには大変良い場所だと説明した。

16年は「伊勢志摩サミット」 首相「日本の伝統実感を」 :日本経済新聞

 との発言から、いわゆる「安倍首相アンチ」から懸念の声が上がっています。

 

私自身もいわゆる「安倍首相アンチ」ではありますが、伊勢神宮参拝はサミットに組み入れるべきだ、と考えます。理由は2つです。

 

(1)「一生に一度は伊勢参拝」という口実で、ちゃっかり遊ぶのが好きな国民性を知るのに最適な場所だから

「一生に一度は伊勢参拝」という言葉は存在します。これに類する言葉は少なくとも江戸時代からあるようです。

 

しかし、これを「日本人の宗教性・精神性」とストレートに受け取るのは大いなる間違いです。

昔見たアニメ「まんが日本昔ばなし」にこういう筋書きの話がありました。

村を代表して、その村からの賽銭を預かり、遠くの寺社へ参拝に行く。その人はそのお賽銭を使い込む気満々で、参道の店の呼び子に「この賽銭もって、帰りに遊びに来るからな」と声をかけて寺社に向かう。が、うっかり賽銭を全部納めてしまう。当然、お店で遊ぶことも出来ずとぼとぼ帰る。

お笑い話として仕上げてありますが、実のところ日本の寺社仏閣参拝の楽しみは、その寺社で得られる体験と同じくらいに、その参道や行程での体験が重要視されます。

 

この事実は学問的にも一定の裏がとれています。

放送大学観光の新しい潮流と地域」では、江戸時代に「お伊勢参り」をした人の記録が紹介されているのですが、その行程はさながら日本一周旅行。

江戸を出発したあと、伊勢には行くもののその後は京都でしばらく遊び、四国・金比羅さんを詣でて、なぜか帰りは長野・善光寺を拝んで帰る。

という謎の「お伊勢参り」が記録されています。

 

これは、あの大日本帝国時代でも変わりません。新書「鉄道が変えた社寺参詣」には、戦時体制下の日本で「伊勢神宮参拝を口実に遊びに行こう」とばかりに集客をはかった民間鉄道会社の存在と、それに対抗して参拝観光列車を用意する国鉄の競争が紹介されています。

今でも近畿地方には「お伊勢講」という習慣が残っていますが、行き帰りのバスでいかに酒を飲むかや、解散した後の「締めのラーメン」を楽しみにしている人が大半、という現実があります。

 

伊勢志摩サミットに参加し、伊勢神宮参拝にもつきあった外国の要人方には、是非ともそういう「日本国民の思い」を感じ取って頂きたい。

社殿に向かって拝みつつ、内心では「これが終わった後、どう遊ぼうか?」という気持ちでいっぱいだった日本人の心。そういうよこしまな心の積み重ねを最も深く理解できる場所は、伊勢神宮以外にありません。

(2)伊勢志摩は「非日常系エンターテイメント」を提供し続けてきた地域であり、その中で最もインパクトの強い「非日常系施設」が伊勢神宮だから

出席する各国首脳とは「伊勢神宮の荘厳でりんとした空気を共有できればいい(中略)」と述べた。

16年は「伊勢志摩サミット」 首相「日本の伝統実感を」 :日本経済新聞

 日本の神道の本質は「アニミズム的な自然崇拝」です。しかし、それを日常的に意識しながら生活しているわけではありません。たとえば、地域の神社に残る原生林などの「非日常」に触れることで、日常の中に紛れている自然を再認識します。

 

伊勢神宮神社域に残る原生林は、日本でも一級品の原生林です。伊勢神宮の原生林が醸し出す「荘厳でりんとした空気」を生み出すものはこの原生林にある、私はそう考えます。その宗教性や政治性を抜きにすれば、私も好きな空気でもあります。

 

しかし、伊勢神宮の生み出す「荘厳でりんとした空気」は伊勢志摩が作る「非日常」の一端でしかない。あえていうなら、伊勢神宮という「極端な非日常」があるからこそ、他に用意された「非日常」が際立ってくる。

 

その最たる例は伊勢神宮から橋を渡ってすぐにあるおかげ横丁でしょう。伊勢神宮から宇治橋を渡ってすぐの所から続く門前町で、赤福餅のお店が有名なところです。

「原生林に囲まれた神社」という『非日常』を実感させたその直後に、「知名度の高い銘菓を頂く」という『非日常』を用意する。とにかく次から次へと『非日常』を用意しはるばるやってきた客を飽きさせない、そういう意味で伊勢志摩は「日本流『おもてなし』の元祖」の1つと言っていいかもしれません。

なお、おかげ横丁が時代を感じられる町並みに改装したのは平成になってからの話。『おもてなし』のためにはちゃんとしかるべき投資をする、という伝統も今に引き継がれています。

 

伊勢志摩は日本の「非日常」と「おもてなし」を集めた伝統的テーマパークです。海外の要人の皆様方にも、ぜひ楽しんでいただきたい。それを楽しんでいただくために、伊勢神宮は外せない来訪スポットの一つです。

最後に

観光は、行ったら楽しいものですが、行かなくても死なない「不要不急の産業」です。その「なくても死なないもの」を継続して提供してきたのが伊勢志摩です。それは、「なくても死なないけど求めているもの」に常に応え続けてきたからこそできることです。

 

サミットという「高度に神経を使う政治的作業」で疲れた心を、伊勢志摩が提供する「非日常体験」で少しでも紛らわせていただければ、一日本人としてそれを心から願っています。