野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

3.11を前にgdgdトーク

4度目の3.11がやってきます。

だからいい機会だし、というといろいろ語弊がありますが…まあそんな感じでgdgdと喋ろうか、と。


 

 先日、旅行のついでに仙台(近郊)の沿岸部をちょっとだけみてきました。相変わらずなにもないので、地図好き・地形図好きにはたまらない眺望が堪能できるのですが、そんな景色の中にところどころ盛り土があるのが気になりました。


 「ところどころ」ではなく「計画的」ならそれはそれでいいのです。

例えば、名取市閖上地区は割と計画的にかつ面的に盛り土が行われ始めてました。その「計画的に」に持ち込むまでたくさんの議論が行われたらしいことはミニコミ誌を通して知っています。正直、そこに至るまで時間がかかりすぎだろう、と第三者的には思わないでもありません。でも、明らかに一歩前へ進んだんだな、と言うことが第三者にも分かります。


 仙台市沿岸部はあきらかに「ところどころ」でした。

それが端的に感じられたのが宮城県道10号塩釜亘理線。そこに盛り土をした新県道を作るらしいのですが…その盛り土がほんとに「盛れるところから盛った」感のある盛り土。

事情は分からんでもない。でも、その盛り土がつながらない限り道にはならないし、盛り土の間に土を盛るのは面倒だし、なにより土を盛った時期が違いすぎると不等沈下の要因になる。


一方、そんな沿岸部からの内陸転居先である 仙台市荒井地区では、非常に計画的な宅地開発が進んでいる。近年中に地下鉄も通るホットなスポット、そこと数キロも違わぬ沿岸部との落差は、なまじっか見通し距離にあるだけに印象的でした。


 正直なところ、「3.11の記憶の風化」は始まりつつある、と思います。それが本格化する前に、復旧への青写真は撮っておかねばならないのに、そんな気配を全く感じない光景が間々感じられた。それはすごく恐ろしいことかもしれない、と。


 gdgdと無計画につぶやいても、それは単発だと自分自身は分からずに済みます。

しかし、それがブログなり街作りという形でまとめられると、その矛盾が露呈してしまう。

 

そう、ちょうどこのブログエントリーのように…ね。