八重の桜 「第19回 慶喜の誤算」
私が高校生の時の話。
クラスで取り組むイベントごとがあり、私の友人の担当する部分でリハーサル時にトラブルがあった。イベントの運営を巡りクラスの中心的なグループとその友人でいざこざがあったこともあり、中心的なグループの側はその友人の担当する部分全体を削除することを画策した。
その策が正しかったのか否かは今となっては検証のしようがない。ただ対案も検討せず、トラブルがあったその日即日に全削除を決定しようとする姿勢に納得がいかず。イベントの運営側に自分もいたこともあり、その日の会議で自分は反対意見を表明し、その日の会議では結論は持ち越しとなった。
その全削除の提案は、その翌日私が知らないところで行われた会議で採択され、イベントはその一週間後無事成功した。「そういう流れになってたの、気づかんかったん?」と後日、その友人から教えられた。
未だに悔いの残る出来事ではあるのです。
多勢に無勢の中でただただ正論を吐いたところで実のところなんの役にもならずクラスの円滑な運営を妨げるだけだし、なによりいらん期待を持たせることでその友人をかえって傷つけた。
それから20年近く生きているわけですがあの状況をよりマシに解決する手はずが未だに思いつかない、そんな自分自身の社会性と成長のなさを両方かみしめさせられる思い出ではあります。
前置きが長くなりましたが、「当事者が不在の会議」で「不在の当事者に有利な決定」など下されるはずがないことは、田舎の高校生でも分かること。不在で会議が行われたりしないようにアンテナをビンビンに張らねばならない状態であえてそういう情報を聞かぬふりをした徳川慶喜という人物はどうにもならん「馬鹿(大阪弁的な意味で)」だし、そんな馬鹿を見限りきれずそのあともお付きあいしてしまう保科容保も「阿保(大阪弁的な意味で)」な人だな、と思う。まぁ、そのあとの世渡りのうまさも含め、馬鹿と天才は紙一重なんかもしれません。
尺が少々長くなりすぎました。
八重の元に銃術を習いに来ていた少年が、女子ウケしそうな美少年系だった気がしますが、残念ながら自分は男に興味がないので特に記憶がない。自分自身の黒歴史(の発端w)に触れて疲れたので、このエントリーはこの辺で閉幕ということで(^^;)