野ぶたのつぶやき

野ぶたの日々を淡々と

八重の桜 「第8回 ままならぬ思い」

近畿の人間が、東北の中山間地をぶらつくと「平らなのに耕されていない土地」の多さに戸惑います。それは過疎集落云々の現在的な問題ではなく、そもそも一度も畑の整備が行われたことがない土地。「近畿やったら、この谷の奥までいっぺんは耕そうとするやろ?」という土地。

この違和感の原因を「西日本と東日本の相続制度の違い」に求める考え方があります。「長子相続・一子相伝」を基本とする東日本と、「女性にすら多少の分割相続があった」という西日本。

一見、西日本の方がリベラルに見えるのですが、分割された分それぞれの食い扶持は減る。ならば、とばかりに取り分の少なかった次男坊・三男坊は、谷奥を耕して新田を作り、結果として西日本は谷奥まで耕される傾向がある。

 

反対に、東日本の方は家長の権限が強く家族制度を元にした統治が効きやすい。相対的に家族統治が弱い西日本では「地域統治」的な傾向が強く。その「地域統治制度」において最初に受ける洗礼が、今の「青年団」に代表される若手男性の共同体。年長の青年が年下の青年に「男のなんたるや?」と教える、その課程を通して地域としての一体感を維持する。

 

「新撰組」をWikipediaで見てまず思うのは「新撰組って”青年団の幕末京都版”やんか」だし、対する会津の西郷頼母会津藩代々の重臣だったと聞くと「なんと東日本的な…」と思う。

本質的に違う統治思考の組織を、その違いを理解せずに混ぜると碌な事が起こりませんが自分の所属する組織の異質性って意外に自覚できないもの。たいてい相手の異質性のみに注目し、「相手の組織には深入りせず丸投げ」するか「相手の組織を自分色に染めるべく悪戦苦闘する」かどっちかになる。

会津藩が新撰組にどう接したのか?それはわかりませんが、西郷頼母よりも松平容保よりも、新撰組の方がWikipedia的には悪目立ちすることを考えるとおそらくは「丸投げして暴走させちゃったんだろうな」と思う。今だって潤沢な金がないと青年団の統治は難しいから…なぁ~。

 

さて、会津方では「家柄と婚姻と恋愛」という、いつの世も出てくる問題に女性陣が心を悩ませます。というか、こういう形でしか女性陣の出る幕がなくなってきてる歴史の流れ。

少ない出番を、濃厚な演技力で魅せる女優陣に感服する回でもありました。