野ぶたのつぶやき

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火怨・北の英雄 アテルイ伝「第2話 族長の決意」

ちょっと話がそれるのですが…。

源義経が京とみちのくを行ったり来たりしていた頃に活躍した「金売り吉次」という人物の伝説が東北の各地に残っているのだそうです。

「義経を平泉に逃がした立役者」という大きな仕事から、割とどうでもいいトンチ話のレベルまで、とにかく広範な仕事を成し遂げた人物とされています。

 

室町時代、南朝が亡くなったあとも”抵抗勢力”は残り。河内地方でもそういう抵抗勢力が騒ぐこともあった。そのたびに、京都の貴族や幕府のものは「また河内で”楠木の某”が騒いでるらしい…」と噂したのだとか。

 

極端な話かもしれませんが、「アテルイ」という人物は”金売り吉次”や”楠木の某”と本質的に違う存在なのか、という妄想もできるんじゃないか、と思うのです。

ヤマトとの戦いに敗れ、蝦夷側の軍事責任者として京に連れてこられ、河内で首を切られた「アテルイ」と呼ばれる人物がいたのは確かなのでしょう。しかし「アテルイ」がやったとされる仕事を「首を切られたアテルイ」がほんとにやった、という証拠があるのか、と言われるとどこか心許ない。

 

今回のドラマでも示唆されているのですが、ヤマトに対する蝦夷の抵抗は一枚岩とは言いがたかったようです。それを「アテルイ」という伝説的人物がとりまとめてヤマトに一矢報いた、というのは”お話”としては面白いのです。

しかし、各地域の蝦夷がヤマトに翻弄されながらも各々で粘った、そんな蝦夷の勝利(ヤマト的には敗戦)を「ヤマトの現場責任者の失策」ではなく「蝦夷の伝説的英雄・アテルイのせい」と片付けようとした中間管理職を大和朝廷は飼っていた、そして蝦夷の側もかつて戦った祖先の成果をアテルイの仕事として密かに語り伝えた、そんな妄想はできないかな、と。

 

アテルイ」とは何者なのか?

そういうひねくれた見方をしてみてもいいし、なんであれ英雄なんだから仲間との熱い愛情や友情を後世の人間がちょっとくらい話を盛ったって罰は当たらないんじゃないか、とちょっぴり考えたりしてました。